森へ還る日

伝承と信仰国不明・国共通深度不明物語

少女は、祖母の手を握っていた。

細い手だった。

昔は森を何日も歩けたというのに、今では水差しを持ち上げることさえ難しい。

窓は開けられていた。

森の匂いが入るから、と祖母が望んだのだ。

「怖いかい」

祖母が聞いた。

少女は嘘をつけなかった。

「少し」

「何が?」

「おばあちゃんが、いなくなるのが」

祖母は笑った。

「いなくなりゃしないよ」

少女は口を尖らせた。

そういう話ではない。

祖母は分かっているくせに、と少女は思った。

部屋には何人かの信徒がいた。

誰も泣いていなかった。

祈りの言葉を小さく繰り返している。

――すべては賜りもの。

少女も幼い頃から何度も聞いてきた。

食事の前にも。

森へ入る前にも。

森から戻ったときにも。

誰かが生まれたときにも。

そして誰かが死ぬときにも。

すべては賜りもの。

けれど少女は、その言葉が嫌いだった。

「返さなきゃいけないの?」

思わず聞いた。

祖母は目を開けた。

「何を?」

「命」

部屋の祈りが、一瞬だけ遠くなったように感じた。

少女は続けた。

「もらったなら、ずっと持ってたっていいじゃない」

祖母はしばらく黙っていた。

怒られるかと思った。

教えを疑うな、と。

けれど祖母は、少女の手を握り返した。

「私も昔、同じことを言ったよ」

少女は驚いた。

「おばあちゃんが?」

「お前よりずっと大きくなってからだけどね」

祖母は森の方を見た。

木々の向こうは暗かった。

「私は若い頃、冒険者だった」

それは知っている。

祖母の腕には今も傷跡がある。

「財宝も持ち帰った。魔道具も売った。森で道を切り開いたこともある」

「悪いことじゃないの?」

祖母は笑った。

「さてね」

「教えでは……」

「教えにも、分からないことはある」

少女は眉をひそめた。

信徒なのに、そんなことを言っていいのだろうか。

祖母は続けた。

「森から持ち帰ったものは、本当に賜りものなのか」

「うん」

「持ち帰れたから許されたのか」

「うん」

「それとも、森はただ何も言わなかっただけなのか」

少女は答えられない。

祖母も答えなかった。

「ずっと考えてきたよ」

「分かった?」

「いいや」

祖母は楽しそうだった。

「何十年考えても分からなかった」

外で風が吹いた。

葉が擦れる音がした。

「だから信じるの?」

少女が聞いた。

祖母は首を横に振った。

「分からないから、信じるんだよ」

少女には、その違いがまだよく分からなかった。

祖母は目を閉じた。

しばらくして、また話し始めた。

「森にはね、人間よりずっと大きなものがある」

「奥なる御方?」

「そう呼ぶ人もいる」

「本当にいるの?」

祖母はまた笑った。

「分からない」

今日はそればかりだ。

少女は少し腹が立った。

「何にも分からないじゃない」

「そうだね」

祖母は満足そうに頷いた。

「だから、人間が何でも自分のものだと思わないことだ」

少女は祖母の手を見る。

もうほとんど力が入っていない。

「おばあちゃんも?」

「私も」

「森のもの?」

祖母は少し考えた。

「私は私だよ」

意外な答えだった。

「でも、この身体も、息も、時間も、ずっと私だけのものだったとは思わない」

息を吐く。

「たくさん借りた」

窓の向こうで、鳥が鳴いた。

祖母は小さく言った。

「十分だ」

少女は泣いた。

周りの大人たちは止めなかった。

教団では死を悲しんではならない、などという決まりはない。

悲しいものは悲しい。

失いたくないものは失いたくない。

それもまた、人間なのだと祖母は以前言っていた。

その日の夕方。

祖母は息を引き取った。

信徒たちは、

「森へ還られた」

と言った。

少女は、その言葉が嫌だった。

祖母はどこにも行ってほしくなかったからだ。

葬送のあと。

少女は一人で森の入口へ行った。

深くは入らなかった。

木々の前に座った。

何か起きるかと思った。

風が吹くとか。

鳥が鳴くとか。

森から声がするとか。

何も起きなかった。

少女は腹を立てた。

「返してよ」

森に言った。

返事はない。

「賜りものなんでしょ」

何もない。

「だったら、もう一度くれたっていいじゃない」

森は黙っていた。

少女は長いあいだ泣いた。

やがて立ち上がった。

帰ろうとしたとき。

足元に、小さな木の実が落ちていることに気づいた。

いつ落ちたのかは分からない。

ただの木の実だった。

少女は拾った。

しばらく眺めてから、

元の場所へ戻した。

それが正しいのかどうかは、

まだ、

誰にも分からない。

文:ハンバーグ次郎

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